借金返済できないで蒸発した父の15年の空白と因果


私の父親は借金が返済できなくなって、私が幼稚園の年長の時に蒸発していると言い聞かされています。

当時は、何度も「お父さん、いつ帰って来るの」と何度も母に聞いていました。

その度に、生まれたばかりの妹を背負っている母からは「お父さんは仕事が忙しくて暫くは帰って来ない」と因果のように言い含められました。

それから親戚の叔父の家のそばの借家に引っ越して、母と私と妹の3人の母子家庭の暮らしが始まりました。

ですので父親は、私のランドセル姿を見ていなく、もちろん妹の小学校の入学式にも現れませんでした。

やがて何かの親戚の集まりの時に、私は親戚の人伝いに父親が借金が原因で蒸発した事を知りました。

借金返済できなくて家族を捨てた父親。

私はその時、子供心に借金ということを知りましたし、返済できないことが家族を捨てるほど悪いことなんだと感覚的に悟りました。

その頃をハッキリ覚えているのは、「父はもう帰って来ない」ということを知った晩の夢です。

私はその晩「父が笑顔で帰ってくる夢」を見ました。

玄関で私が父に抱きかかえられて、ものすごく喜んでいる私を、私が見ている夢です。

ハッと目覚めました。

再度そのまま眠りにつくと今度は「父が誰かに責められて弱っている姿」の夢を見ました。

その2つの連続した全く違う夢をよく覚えています。

小学校2年生の時です。

借金が原因で消えた父親の影響。

子供の頃は母子家庭ということで、父親の収入がないことが影響して生活も貧しく辛いことも多くありました。

私はイジメにも会い、その連鎖で妹もイジメの対象にされてしまいました。

それでも母は、父のことを一切悪く言わない人でしたので、私たち姉妹も父がいないことでの不満や影響を母にぶつけるわけにいかず、特に私は複雑な気持ちで父への気持ちを圧し潰していました。

いつか帰って来るという気持ちでした、ずっと。

妹には父の面影がないので最初から居ない存在でしたが、私には父の面影があり中学にあがるまでは寂しい思いもしましたし、母には因果のように「仕事が終われば帰って来る父」と思わされていましたので、借金返済が終われば帰ってくるとばかり思っていました。

借金返済が終われば帰ってくる父親

誕生日、クリスマス、お正月には、父が返済を終えてひょっこり帰ってくるのではないかと、前日になると内心ではドキドキしていました。

ですがその後も、一切の娘の成長を見届けることなく、父親はいま現在も帰ってきていません。

そして私が社会に出て、私も父と同じように家を出ることになる恋人との死別という悲しい出来事がありました。

父の不在の家庭で育った女子の多くがそうであるように、私も早く結婚して子供を産んで幸せな家庭を持ちたいという憧れが、早熟なまでにありました。

父の借金の因果、同じ多重債務者として。

恋人との死別から数年は、私は都会で彷徨うように借金を繰り返しながらひとり暮らしをしていました。

これも何かの因果、父と同じ星の下に生まれているんだなと思いながらの、投げやりな都会の暮らしでした。

父が借金が原因で家族を捨てたのと同じく、私は可愛い妹の元を離れたのです。

何かの因果かもしれませんが、その時も母は寛容でした。

私は正確な借金額は言っていないので母は私の借金の事には触れてきませんでしたが、派遣コンパニオンの仕事をしてるぐらいでしたので、借金があることぐらいは薄々わかっていたはずです。

それでも母親に責められたり怒られることはありませんでした。

もちろん言ったところで、母が借金の肩代わりなどできませんから、無駄に心配をかえさせまいと一切の相談はしていません。

偶然の巡り合わせで、借金に関して理解ある知人が私の相談に乗ってくれて、私の借金の問題は解決に向かうことになります。

もちろん色々な専門家にも相談しましたし、お金の問題は弁護士や司法書士といった専門家に相談することが1番の最善策ということも知りました。

自分の借金問題を解決させてことで、尚更のこと父の借金に素朴に疑問を持ちました。

私のように専門家に相談はしなかったのだろうかと。

それでも、もうその頃は父と同じ多重債務者でしたし、15年以上というあまりにも長い時間が経過していましたので、私は父のことを「心で笑っていました」

借金返済できないぐらいで家族を捨てる甲斐性のない人と。

妹だけには借金させてくないよいう母性と贖罪心。

それから知人や弁護士のアドバイスを受けて借金返済に一念発起したのは、年の離れている妹が高校卒業を2年後に控えて大学に進学したい夢があると知ったことも1つの理由です。

母に妹を大学に進学させる経済力がないことは分かっていましたので、私もお金の苦しみを一通り経験して妹にだけは「お金で苦労させたくない」という母性が働きました。

お金がないことをハンデとして、妹を夢の入り口に立たせてあげられないということは、家出をしていた私の妹への贖罪心でもありました。

私は何とかその夢を叶えてあげたいと思い、できるだけ経済的な協力をしようと思ったのです。

ただその頃は、私自身が都会で作った借金の返済で私自身の生活にいっぱいいっぱいでした。

それでも何とかしたい思いから、できる事といえば可能な限りダブルワークをして借金を返済をしてカードローンの融資枠を妹の学費として残しておくことぐらいでした。

妹の進学の際には夏頃には奨学金の申請をしておかなければならなかったのですが、それは妹の借金になりますので、何の因果か父娘と借金に苦しむ経験をしている私は、妹への母性と贖罪心から1円足りとも借金させたくないという意地だけで申請させませんでした。

とにかく学費は私が何とかするから大丈夫、と。

それ以後は、自分の借金の返済と妹の学費の捻出の追いかけっこでした。

私は運よく複数の金融業者から借りていたお金を「おまとめローン」で一本化できたことで、それまで借りていたカードキャッシングの枠が全部ゼロになりましたので、最悪はまた消費者金融から高い金利での再融資を受けて学費に工面しようとしていました。

つまり折角まとめてゼロになった消費者金融ローンから再び借りるという負債総額が2倍になることも覚悟もしていました。

それからダブルワークをしながら様々な副業をして借金を返済していき、為替取引を知ることになり大きな利益が上がったことで、概ね多重債務状態は解消されました。

この時も、私が解決できた返済方法を父はできなかったのかと、私の借金の問題を常に父との因果関係に当てはめて考える癖がついていました。

私の借金の問題

妹も相当に勉強をしており、テレビのクイズ番組などで秀才ぶりを発揮しているタレント以上に答えていましたので、私は頼もしく思い、何とか合格させてやりたいという気持ちでいっぱいでした。

身内なだけに、まるで今の借金ブロガーさんが「無事に借金返済できるといいな」と思う以上に願っていました。

受験するのは妹本人ですので、私ができることはお金を出すことぐらいでしたので、妹の大学入試の受験料や受験日前日の東京のホテル代、最後は受験前の塾の強化合宿などで、大学に入学する以前の40万円ほども現金で渡しました。

さすがに右から左に出せる金額ではなく、都度カードローンで借りて工面していましたが、お金を出すたびに妹へ贖罪をしているようで不思議な気持ち良さもありました。

妹は見事に第一志望の女子大に合格ができて、その入学金は学資ローンで賄い、東京でのアパート代やアルバイトで足りない生活費は私名義のクレジットカードを家族名義にして使わせています。

無邪気に東京の女子大生を楽しんでいる妹でいてくれることが嬉しく、とにかく妹には借金をさせたくないのです。

母の子育ても一段落でした。

母の生活も苦しく私の生活もけして余裕のあるものではありませんでしたが、これも借金を相談した知人のアドバイスで「18歳に幾らお金をかけるかで、その子の将来の選択肢が広がる」と聞き、私も根性を入れて妹をサポートしました。

それに、かつての多重債務だった都会での暮らしに生活基準を合わせると苦にはなりませんでした。

そして私はまだ負債を抱えている最中にも関わらず、為替収益でリゾート地の格安マンションを購入することもできました。

何か残しておきたいという気持ちと、母と私は別々の賃貸アパートに住んでいましたので、その賃料が無駄だと思い、お金の自由が利くうちにと思い、他県の競売物件のリゾートマンションを格安で購入しました。

当然、住宅ローンなど組めない私は信用金庫のカードローンを100万円借りて、更にフリーローンを組んでマンションを競売で落札しました。

もちろん無駄な賃料の解消もありましたが、親孝行のつもりで母を呼びよせ、妹の進学も一段落したタイミングで一緒に広いワンルームに住み始めました。

ですが母は地震が嫌いで、高層階の私の部屋は地震の際はかなり揺れます。

それを理由に2ヶ月も経たないうちに、母は元の借家に戻ってしまいました。

まぁそれはそれで、母の好きなようにしてもらって構わないのですけど、それからしばらく経って「なんでそんなにマッチ箱のような借家」に拘っているのだろうという気持ちが湧きました。

母がそこに住んでいなくてはならない理由が思いつかず、地震の揺れは確かに大きいですが借家よりは安全なことは誰にでも分かることですし、私のマンションが倒壊する時は借家のほうが先に潰れてしまいます。

それなのに、何故?と思いました。

15年の空白を埋める借金という方便と仮説。

15年の空白を埋める借金

子供の頃は、父が借金を返済できなくて蒸発したから「借金は悪いこと」と思っていましたが、自らが父と同じように多重債務者になった経験から、今では借金に対しての印象も変わり、為替取引で収益をあげるようになってからは同じ借金でも意味合いや考え方も異なっています。

数年前、私は派遣コンパニオンをしながら借金返済をしていた頃に、父の消息を派遣先の会社の独特のルートで探してもらったことがあります。

なので大体の父の消息地は分かっています。

ただ今さら時間があまりにも立ちすぎていますので、母が会いたいというなら別ですが、私自身に再会したいという気持ちはなく、むしろ借金をそのままで帰ってきてもらっても困ります。

そして、いま私の借金問題も、妹の進学も一段落して、ふと父親の借金を振り返って色々と思いを馳せることががあります。

蒸発した原因が借金というのは方便なのではないかと。

母から父が借金が原因で蒸発したと説明されたことは一切なく、未だに私と母の間では「お父さんは仕事に行ったきり」のままです。

お互い思う事を秘め、そこには触れずに過ごしてきました。

母からは一度も父に対する悪口を聞いたこともありません。

それに今思えば、私が小学2年生の子供の頃に、親戚の人が「あんたのお父さんは借金を作って出て行った」と普通に言う?と思い返したのです。

そこで思いついた一つの仮説が、父は本当に借金が原因で蒸発したのだろうか?ということです。

それは蒸発した理由が借金より酷い、とても子供には説明できない理由であったから、借金という悪いイメージを方便として利用したのではないかと仮説を立ててみました。

どうしても私には借金という理由だけで可愛い盛りの娘2人を置いて、出ていく父親の気持ちが分からないのです。

父と母が不仲であったとすれば分からないでもないですが、そういった感じも受けませんので、いくら何でも娘2人のその後の入学式や卒業式、成人式と一目でも見たいというのが親心だと思いますので。

つまり、借金が返済できない以上に、父が居られなかった理由とは・・・不倫?

それであれば、母がもう少し父親のことを悪く言ったり、恨みのひとつがあっても不思議ではないですが、そういった事を聞いたこともなく、むしろ「お父さんを恨んじゃダメよ」という気持ちが母から口に出さないまでも伝わっていましたので、それはない。

他に考えられることとすれば、母は妾なのだろうか?愛人や日陰の存在?

偉い人の妾だとすれば、何で私はバカなのかという疑問が湧きますし、そういった日陰の女性のような存在であれば、生活費に事欠くこおともないでしょうし、妹の学費だってポーンと出てくると思いますので違う。

そして今回、母は私のマンションを出て以前の借家に戻ってしまいました。

まるで父親の帰りを待っているかのように・・・

母にとってはたった5~6年一緒に住んでいた男で、その後の人生のほうが明らかに長いです。

そこで立てた私の仮説が、父は刑務所に入っていたのではないか?です。

15年ぐらい。

そして今は地元のそばに父の消息がある。

でも向こうからは会いには来ない。

おおよそ15年の空白を何か借金以外の原因で埋まれば、疑問に思う事が解消されます。

もしかして母は、その間どこかで連絡をとって会っているのかなと思いました。

蒸発と言い含められて、子供の頃に親戚の人に「借金が返済できなくていなくなった父」というのはカムフラージュだったのではないかと。

そう考えますと大体の辻褄が合しますし、この仮説が唯一母が借家に戻ったことも合点がいきます。

借金返済できないことで繋がった父との因果

少し前は「父は借金の返済をしたのだろうか?」そのだいぶ以前は「たかが借金ごときで娘を手放すか?」など漠然と疑問に思う事はありました。

それこそ、辛いことがあると借金で蒸発した父に因果を求めることもありました。

問いただしてみたい気持ちはありますが、それは父親に対してではなく1人の同じ借金返済できないという経験をした多重債務者としてです。

如何せん時間が経ちすぎているので、居てもいなくても構わない存在になってしまっているので、多くの疑問を会って確かめたいという気持ちも褪せてしまってます。

ただやはり、父に対する数々の思いが唯一「借金返済できない経験」でのみ繋がっているというのは因果なことだなと思います。

母子家庭でお金がないことで辛いことも多く、愛する人と死別も経験して借金で苦しみ、更に今は経済的に余裕ができて一通りの辛酸を経験して、遠く色褪せた父との関係が奇しくも借金という因果のせいで離れないでいます。


借金返済の問題の解決ご相談はこちら(無料)

借金返済 解決方法